難聴児の母のブログ

中度の難聴児の誕生から今まで。

ろう学校

補聴器をつけさせようと奮闘する母と逃げる1才児の話は、すみませんが次にさせてください。

 

病院から補聴器を借りるちょっと前、市の乳幼児身体計測会に行った時、ついでに市で受けられる相談窓口やサービスなども知っておこうと、保健センターの事務所で話を聞きました。それによると、市にも難聴児のサークルはあるものの、年に数回、不定期の開催だそうで、特に医師の診察があるわけでもなく、みんなで集まって、お話をするだけだそうです。もちろん参加するつもりですが、もっと相談できる所はないか、と聞いたところ、「少し遠い、◯◯市にろう学校がありますよ。確か乳幼児の相談も受け付けていたと思います」と言われました。

 

ろう学校。私は、はぁ~なるほどね、と思いました。難聴とろう学校が繋がるのは当たり前なんですが、私の頭の中にその選択肢は全くありませんでした。何せ、生まれてこの方、「ろう学校」という「言葉」としては認識していても、「通う所」という意識が全くなかったので。「行く」ということさえ人生においてなかったので。

 

確か12月の終わり頃だったと思います。息子はちょうど1、2歩歩き始めたくらいで、まだ一歳にならないのに早いわね、と言われたのを覚えています。

 

ろう学校は県内に2つしかなく、近い方でも私の家から車で30分かかります。さらに電車の乗り継ぎがものすごく悪く、片道1時間半かかります。車を持っていない私は、近くの実家に住む母の運転を頼りにするしかありません。今でも月に2,3回、母に仕事の休みを合わせてもらって学校に通っています。母には本当に感謝です。

 

急な申し込みにも関わらず、ろう学校の先生は二人で私たちの相談を受けてくださいました。相談、と言っても、何を相談すればいいのかわからない、そんな私の状況も見ぬいた上で、先生たちは色々とお話してくださいました。難聴のしくみ、補聴器のこと、就学のこと、生活のこと、難聴児と接する上での注意点…

 

一番ありがたかったのは、今の息子の聴力がどのくらいのレベルにあるか教えてくださったことでした。

 

「家の中はTVがついていなければとても静かですから、息子さんは普通の会話は難なく聞こえているはずです。ですが、TVがついていたり、少し離れたところからの会話は聞きにくいと思います。例えば、キッチンでお母さんが料理をしていて、息子さんが何か言ったことに背を向けたまま返事をする声なんかは、聞こえないはずです。聞こえない、ということは、お母さんは言ったつもりでも、息子さんは無視されたと思うでしょう。これは家庭内だけではなくて、集団生活を始める時にも起こります。友達が言った言葉が聞こえない、返事をしない、無視されたと思われる、ということもありますね。難聴というのは目に見えない分、そういった苦労があるんです」

 

そうか、そうだったのか。目からウロコが落ちるような気分でした。そして、それまで難聴のことをあまり深く考えていなかった自分を反省しました。この子は今のところ何不自由なく見えるけれど、成長するに従って、健聴者にはない苦労が出てくる。

 

ただ、私が一貫して感じているのは、周りの人(健聴者)たちが思うほど、息子にとって苦労と思うほどのことではないだろう、ということです。だって生まれた時から聴こえにくい、にくい、という言葉だって、私たちがかってに言っていることですから、本人にしてみれば、本人の聴こ

え方が100%なわけです。

 

私がろう学校に行ってよかったな、と思うことは、学校という名前はついているけれど、主にろう児・難聴児の親に向けての講習や勉強会があることです。もちろん、ろう・難聴の方もいるけれど、私と同じように、生まれた子供が家族で初めてろう・難聴だった、という親が多いんです。なので最初は、ろう・難聴とは何か、から始まり、補聴器について、子供との関わり方、育て方など、わからないことすらわからない私たちを見越して、何でも教えてくださいます。もちろん子供も成長するし、親も成長する。

 

学校に行く度に楽観的な自分を戒めることができるし、学習会などで大人のろう・難聴の方のお話を聞くことができて、何となく息子の将来が見えてくるような気がしています。まだまだわからないことはたくさんあるけど。

母、補聴器を買う。

検査結果が出て、はっきり「中等度難聴」と診断されたので、これから先は言語聴覚士の先生と一緒に成長を見守っていくことになります。

 

言語聴覚士というのは、言語の習得が困難な人や、補聴器を着けている人のサポートをする人です。英語ではSpeach Therapistと言うので、頭文字を取ってSTと呼ぶこともあります。私たちが出会ったSTの先生は、お子さんをお持ちの女性で、落ち着いた雰囲気の方です。

 

ただ、息子はまだ意味のある言葉は喋らないので、病院では日常の変化を報告したり、話しかけて反応を見たりするくらいしかできません。今息子は1歳3か月ですが、時々、たまーに、「でんしゃ」とか「だいじ~」とか、自分でもよく分かっていないだろうな、という感じの言葉しか喋りません。こちらの言葉は少なからず理解していて、最近はテレビを見ながら踊るようになりました。

 

新しい病院に通い始めて1,2か月した頃、私はSTの先生に「行く行くは補聴器を着けることになるんですよね」と聞きました。これからどうなるかわからないけど息子のことを考えたら必要だろうし、それなら早い方がいいだろうと思っていました。しかし、先生的にはかなり迷っていたらしく、「もしお母さん(私)がいいのであれば」と言われました。もちろん私は一も二もなく補聴器を購入する、と伝えました。ただ、息子はまだ幼いので絶対嫌がるだろうということで、補聴器本体だけを慣れるまで借りることになりました。

 

補聴器というのは2つの部品に分かれていて、精密機器である本体と、本体の音を耳の中にまで届けるイヤーモールドという部品があります。本体は借りるとして、イヤーモールドはオーダーメイドのため、先に作らなければなりません。

 

さて、ここで面倒なことが起こります。

 

私が住んでいる自治体では、軽度~中等度の難聴の場合、補聴器購入の助成を受けることができます。全額の3分の2を負担してもらえます。で、市役所に申請用紙をもらいに行った時、担当の人に「診断書と、お店に見積もりを出してもらって、提出してください。先に購入されると申請できませんので」と説明されました。

 

イヤーモールドと補聴器の見積もりをもらう→申請する→許可が降りる→購入

という流れですね。

 

この説明を補足すると、助成の申請は原則として5年に1度しかできません。私が購入したイヤーモールドはおよそ2万円です。市役所には「申請後に購入してください」と言われましたが、私は補聴器はとりあえず借りて、後で購入することにしています。

 

ということは、私は

イヤーモールドを買う→(数ヶ月後)補聴器の見積もりをもらう→申請する→許可が降りる→購入

という流れにしたいわけです。

 

しかし、申請は5年に1度です。イヤーモールドと補聴器を別々の時期に買う場合、役所的には申請はどちらかしかできません。ちなみに補聴器本体は9万円くらいだったと思います。

 

ここで役所に従うなら、普通に助成は補聴器に使って、イヤーモールドは自腹でということになりますね。しかし2万円。しかも、子供の耳はすぐ大きくなるので、数ヶ月で作り変えなければなりません。たった数ヶ月のために2万円。これからのことを考えれば、出費はできるだけ抑えたいところです。

 

ということを、STの先生や補聴器のお店に相談しました。さすがはプロ。わかってらっしゃった。「ああ、それならイヤーモールドはまだ買ってないことにすればいいんですよ、あとで見積もりを補聴器と一緒に出せばいいんです」と、助けていただきました。助かったのはお店の方が申請の仕方をわかっていらっしゃったことですね。感謝です。

 

というわけで、上に書いた流れにできたわけです。(声を大にしては言えませんが!)

 

ついに人生初、補聴器を扱うことになった私。補聴器なんて触ったこともなければ、見た記憶もありません。たまにお年寄りが着けているのを見るくらいです。しかもそれを、難しい年頃の子供に着けさせるわけですから、根気のいる戦いになります。

 

その戦いの様子は次で。

 

ちなみに、お金の支払い方法は、

市役所に見積もり(補聴器を購入予定の店の詳細を記載)を出す→申請が通るとお店の両方に書類が届く→お店が書類に記入して市役所に送り返す→お店に助成金が支払われる

という流れなので、購入者は店頭で自己負担額だけ払えばいいです。(あくまで私の自治体の流れです)

 ご参考までに!

 

 

 

 

「難聴」の一歩先へ

さて、その後大学病院には3~4度行きましたが、大きな病院だったので患者の数が多く、先生と話す時間があまりなく、遠かった(電車で1時間10分くらい)のもあって近くの病院を紹介してもらうことになりました。その頃には息子の聴力も安定し(月齢の低い赤ちゃんの場合、検査をしても実際より悪い結果が出ることが多いそうです)、大体60~70dB(デシベル)の間だということが分かっていました。この60~70という数値がどのくらいかと言うと、0dBがひそひそ声で、80dBが普通の会話くらいです。ということは、普通の会話は聞こえるけど、例えば大勢が喋っている場所や、息子がリビングにいる時、私がキッチンで料理をしながら話す言葉などは聞きにくい、という感じでしょうか。息子の聴力に関してはまだ推測の域を出ないので何とも言えませんが。

 

そして、紹介してもらった病院で、私たちにとってはかなり衝撃的なことを新しい先生から言われます。

 

「子供の難聴の場合、成長に伴って良くなることはほとんどありません。良くて変わらないか、悪くなることもよくあります」

 

先生は、私たちの甘い考えを見抜いていたのでしょう。

 

「僕の経験から言って、息子さんは『感音性難聴』の可能性が高いと思います。伝音性の場合は補聴器で100%何とかなりますが、感音性の場合は補聴器を着けても聞こえにくいことがあるでしょう」

 

知らない人には全く何のことだかわからない言葉が出てきましたね。難聴には大まかに分けて二種類あって、「伝音性」と「感音性」に分けられます。読んで時のごとく、「音を伝える」と「音を感じる」のが難しい、ということです。伝音性は耳の奇形を伴うことが多く、耳の穴が塞がっていたりするそうです。そして外科手術で劇的に良くなることもあるそうです。

 

対して息子の感音性難聴は、音を脳に伝える器官や神経の問題で、良くなることはほとんどなく、先生の言う通り悪くなることもあり得る難聴です。

 

違いはまだあって、伝音性は音の感じ方は正常なので、音量は小さく聞こえるけれども、補聴器で大きくしてあげれば全く問題なく聞き取れる。一方感音性は、音を拾うことも難しければ、音の種類によって聞こえる聞こえないが違うという厄介なものです。例えばローマ字で表すと分かりやすいですが、「hikouki(ひこうき)」という言葉が「hikouki(いおうい)」と聞こえてしまう。多くの場合子音が聞き取りにくいらしいです。(もし興味があれば「スピーチバナナ」で検索してください。)私が聞いた話で、感音性難聴の男の子が飛行機を指差して「おおきい!」と言ったけれど、それが本当に「大きい」なのか、「飛行機」の聞き間違いなのかわからない、ということがあったそうです。

 

ということは、息子は身の回りの言葉を正確に聞き取れない可能性がある。小児難聴の場合、言葉の習得という難題が待ち構えているので、うかうかしてはいられません。

 

ここでちょっと、日本語教師をしていた私の話をさせてください。

 

私は長男の妊娠9か月くらいまで日本語教師として4年ほど働いていましたが、その中で感じたのが「耳がいい人は発音もいいし会話力もある」ということです。耳がいいというのは聴力のことではなく、聞いた音を脳に伝えて、そのまま口に出す能力が高いということです。人間は聞いたことがない発音、聞こえても再現できない言葉は口に出すことができないんです。ラテン語を話す人がいなくなってしまったので、現代人はラテン語の正式な発音がわかりません。それと同じです。私が教えた学生の中で、漢字テストも読解問題もからっきしだめだけど、授業中軽口ばかり叩いている、という学生が何人かいました。彼らも「耳がいい人」だったんですね。

 

ということを難聴児の言語習得に結びつけると、聴力検査をして、先生から説明を受けて、補聴器も作って、さあ聞こえるようになっただろう、どんどん聞いていつか話せるようになるといいね!と手を離してしまってはだめだということですね。餅は餅屋、私なんかはたった1年ほど前に「難聴」の世界に入ったばかりのペーペーなので、ちゃんとしたプロに任せるのが筋、ですね。

 

新しい病院でもABRを受けました。3度目にして完璧な検査体勢でした。息子は10か月くらいで、離乳食も始まっていましたし、薬も難なく飲んでくれました(もっとくれ!と騒いだ程でした)。その結果、息子の聴力は中等度難聴ということでした。

 

ここで、耳鼻科の先生の診察は終わります。検査の結果が出たからです。先生は厳しい現実を私たちに伝えた後、こうも言いました。

 

「今のこの状況(難聴の診断で病院にいること)を不幸ではなく幸運だと思いましょう。息子さんは新生児の聴力検査で難聴が発覚しました。でも、聴力検査をしない新生児もたくさんいるんです。難聴を抱えているのに誰も知らないまま成長した子供は、だいたい3歳くらいになって、お母さんが「先生、この子は言葉が遅いんですが」と言って病院にやってくるんです。それじゃ遅すぎるんです。子供の難聴は対応が早ければ早いほどいいんです。ご自身の選択が正しかったんだと思うようにしてください」

 

あの時、産院であの紙にチェックを書かなければ。「とりあえず受けておくか」と思わなければ。全く何も知らなかった自分が恐ろしくなりました。以降、私は知り合いの妊婦全員に「生まれたら聴力検査を受けるように!」と言って回っています。皆さんも、是非。

 

「難聴」ということがはっきりわかったので、ここから先は「言語聴覚士」の先生の出番です。さらに、ろう学校の話も出てきますよ~

 

 

 

 

 

 

 

ブログ始め/狐につままれる

いつかこのブログが誰かの役に立ちますように。

 

そもそもの始まりは2015年1月、長男の誕生時でした。

 

「新生児聴力スクリーニング」。聞いたことがあるでしょうか。読んで字のごとく、新生児の聴力テストです。私が選んだ産院では任意で、しかも有料(¥5,000)だったので、「何もないだろうけど一応受けておくか」と渡された紙にチェックマークを書いたのは本当に偶然で、今考えれば恐ろしくもある選択肢でした。

 

先生に言われたのは「反応なし」。

 

産院では、ぐっすり寝ている(のが絶対条件)新生児の耳に音を聞かせ、その反応を脳波で見るという簡易検査を行っているということでした。なので、検診時にも「あまり眠れていなかったようで、1か月検診の時にもう一度検査をしましょう」と言われました。

 

その時は私も、夫も母も、「ああ、そういうこともあるよね」と、軽く流していました。

 

で、再検査。この時も万全の体勢(ぐっすり眠れる状態)で行ったにも関わらず、「反応なし」。小児科の先生に「簡易検査ではわからないこともあるから、ちゃんとした検査を受けた方がいい」と言われ、大学病院を紹介していただきました。

 

この時もまだ、私たちの感想は「簡易検査なんだから、そういうこともあるよね」でした。「簡易」という言葉に流されていたのかもしれません。

 

それから大学病院で検査をしました。よく覚えています、2015年4月。ABRという検査で、聞こえたかどうかを自分で表すことができない赤ちゃんや、高齢者などが行うそうです。とても精密な検査なので、検査を受ける本人を薬で眠らせて行うのですが、母乳とミルクしか飲んだことがない赤ちゃんが、薬ですねはいはい、と飲んでくれるはずがありません。半分以下しか飲めず、寝付きも悪かったということでまたしても再検査になってしまいました。この日はABR以外にも、スピーカーから音を出して反応を見るという検査(名前を忘れてしまった)をして、どうやら聞こえにくいらしい、という診断をいただきました。

 

この時、先生が仰っていた言葉がとても印象深く記憶に残っています。

 

「家族にも親戚にも耳が悪い方がいらっしゃらないということですが、まるで狐につままれたような気分でしょう」

 

まさに、その通り。さすが先生はよく分かっていらっしゃる。

 

私も夫も、二人の両親も、兄弟も、さらに祖父母にさかのぼっても、「耳が悪い人」は全くいません。(後に健聴者から難聴者が生まれることはよくあると知りましたが)なので何度検査をしていても、何度悪い結果を聞かされていても、全く実感がなかったのです。まさか赤ちゃん本人が「ボク実は聞こえにくいんだよね~」と言うわけはないので、息子が1歳を過ぎた今でもなお、「この子は本当に難聴なんだろうか」と思っているくらいです。そのくらい、狐につままれていたのです。さらに先生は

 

「私の視力は0.6くらいですが、眼鏡をしていれば大抵の物は見えますし、眼鏡がなくてもちょっと不便ですが生活はできます。聴力も同じです。ただ視力検査が一般に広く知られているのに対して、聴力検査というものはよく知られていません。せいぜい学校でピーとかプーとか音を聞いて手を上げるくらいでしょう。だから難聴、と聞くと異世界のものに聞こえてしまうんですね」(うろ覚えなのでかなり言葉を加えています)

 

なるほど。視力と同じ。その説明はとてもわかり易かったし、先生が私たちの気持ちを代弁してくださったことで一気に現実に引っ張り込まれました。これは他人事ではないぞ、と。

 

その日の夜、帰宅した夫に病院でのことを話すと、色々と調べたらしく、神妙な顔で「今の時代社会の理解もあるし、あんまり心配しないで」と言われました。私は「もちろん大丈夫」と答えましたが、内心あまり穏やかではありませんでした。なぜなら、

 

心配とか不安とかが、全くなかったから、です。

 

何だろう、私って冷酷な母親なんだろうか、普通なら悲嘆に暮れて一晩泣き明かすとか、ごめんねえとか言いながら息子を抱きしめるものなんだろうか、とか、色々考えましたが、どうしても悲しい気持ちになれなかった。そんな自分が不思議で、わざと悪い方向に考えてみたりしましたが、だめでしたね。

 

なので同じ難聴児のご家族で、このブログを見つけてくださった方、この記事を読んでくださっている方、申し訳ありませんが、私と悩みを分かち合うことはできますが、悲しみを分かち合うことはできません!すみませんね!こんな性格なもんで!

 

昔から「何事にも動じない」が自慢のSasamiです。

 

こんな感じでよろしければ次の記事へどうぞ。