難聴児の母のブログ

中度の難聴児の誕生から今まで。

ブログ始め/狐につままれる

いつかこのブログが誰かの役に立ちますように。

 

そもそもの始まりは2015年1月、長男の誕生時でした。

 

「新生児聴力スクリーニング」。聞いたことがあるでしょうか。読んで字のごとく、新生児の聴力テストです。私が選んだ産院では任意で、しかも有料(¥5,000)だったので、「何もないだろうけど一応受けておくか」と渡された紙にチェックマークを書いたのは本当に偶然で、今考えれば恐ろしくもある選択肢でした。

 

先生に言われたのは「反応なし」。

 

産院では、ぐっすり寝ている(のが絶対条件)新生児の耳に音を聞かせ、その反応を脳波で見るという簡易検査を行っているということでした。なので、検診時にも「あまり眠れていなかったようで、1か月検診の時にもう一度検査をしましょう」と言われました。

 

その時は私も、夫も母も、「ああ、そういうこともあるよね」と、軽く流していました。

 

で、再検査。この時も万全の体勢(ぐっすり眠れる状態)で行ったにも関わらず、「反応なし」。小児科の先生に「簡易検査ではわからないこともあるから、ちゃんとした検査を受けた方がいい」と言われ、大学病院を紹介していただきました。

 

この時もまだ、私たちの感想は「簡易検査なんだから、そういうこともあるよね」でした。「簡易」という言葉に流されていたのかもしれません。

 

それから大学病院で検査をしました。よく覚えています、2015年4月。ABRという検査で、聞こえたかどうかを自分で表すことができない赤ちゃんや、高齢者などが行うそうです。とても精密な検査なので、検査を受ける本人を薬で眠らせて行うのですが、母乳とミルクしか飲んだことがない赤ちゃんが、薬ですねはいはい、と飲んでくれるはずがありません。半分以下しか飲めず、寝付きも悪かったということでまたしても再検査になってしまいました。この日はABR以外にも、スピーカーから音を出して反応を見るという検査(名前を忘れてしまった)をして、どうやら聞こえにくいらしい、という診断をいただきました。

 

この時、先生が仰っていた言葉がとても印象深く記憶に残っています。

 

「家族にも親戚にも耳が悪い方がいらっしゃらないということですが、まるで狐につままれたような気分でしょう」

 

まさに、その通り。さすが先生はよく分かっていらっしゃる。

 

私も夫も、二人の両親も、兄弟も、さらに祖父母にさかのぼっても、「耳が悪い人」は全くいません。(後に健聴者から難聴者が生まれることはよくあると知りましたが)なので何度検査をしていても、何度悪い結果を聞かされていても、全く実感がなかったのです。まさか赤ちゃん本人が「ボク実は聞こえにくいんだよね~」と言うわけはないので、息子が1歳を過ぎた今でもなお、「この子は本当に難聴なんだろうか」と思っているくらいです。そのくらい、狐につままれていたのです。さらに先生は

 

「私の視力は0.6くらいですが、眼鏡をしていれば大抵の物は見えますし、眼鏡がなくてもちょっと不便ですが生活はできます。聴力も同じです。ただ視力検査が一般に広く知られているのに対して、聴力検査というものはよく知られていません。せいぜい学校でピーとかプーとか音を聞いて手を上げるくらいでしょう。だから難聴、と聞くと異世界のものに聞こえてしまうんですね」(うろ覚えなのでかなり言葉を加えています)

 

なるほど。視力と同じ。その説明はとてもわかり易かったし、先生が私たちの気持ちを代弁してくださったことで一気に現実に引っ張り込まれました。これは他人事ではないぞ、と。

 

その日の夜、帰宅した夫に病院でのことを話すと、色々と調べたらしく、神妙な顔で「今の時代社会の理解もあるし、あんまり心配しないで」と言われました。私は「もちろん大丈夫」と答えましたが、内心あまり穏やかではありませんでした。なぜなら、

 

心配とか不安とかが、全くなかったから、です。

 

何だろう、私って冷酷な母親なんだろうか、普通なら悲嘆に暮れて一晩泣き明かすとか、ごめんねえとか言いながら息子を抱きしめるものなんだろうか、とか、色々考えましたが、どうしても悲しい気持ちになれなかった。そんな自分が不思議で、わざと悪い方向に考えてみたりしましたが、だめでしたね。

 

なので同じ難聴児のご家族で、このブログを見つけてくださった方、この記事を読んでくださっている方、申し訳ありませんが、私と悩みを分かち合うことはできますが、悲しみを分かち合うことはできません!すみませんね!こんな性格なもんで!

 

昔から「何事にも動じない」が自慢のSasamiです。

 

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